村上春樹氏のエルサレム賞受賞演説

村上春樹さん:ガザ過剰攻撃に苦言 エルサレム賞授賞式で - 毎日jp(毎日新聞)

 村上さんは英語で演説し、ガザ攻撃について「1000人以上が死亡し、その多くは非武装の子供やお年寄りだった」と言及し、事実上イスラエル軍の過剰攻撃を批判。日本国内で受賞拒否を求める声が挙がったと説明するとともに、「私は沈黙するのではなく(現地に来て)話すことを選んだ」と述べた。

 そのうえで村上さんは、人間を殻のもろい「卵」に例える一方、イスラエル軍の戦車や白リン弾イスラム原理主義組織ハマスのロケット弾など双方の武器や、それらを使う体制を「壁」と表現。「私たちは皆、壁に直面した卵だ。しかし、壁は私たちが作り出したのであり、制御しなければならない」と述べて命の尊さを訴えた。

asahi.com(朝日新聞社):村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判 - 文化

 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。


僕は、彼の小説の読者ではない(正直、よくわからない)し、エッセイについては面白いと思うが熱心な読者とは言えない。
そんな立場で偉そうなことを言えたものではないが、これだけは言いたい。


あんた漢(おとこ)や。

追記

中国新聞共同通信から配信された講演要旨が掲載されている。
http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2009021601000180_Detail.html

 一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ

 一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。

 一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。

 一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。

 一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。