アイデン&ティティ(ウヨ その2)

ジェンダー/ナショナリティ、言葉、記憶、自己
この文章に出会って、「これなんだよ、こういうことなんだよ」という思いでほとんど泣きそうになった。。
オイラの話している言葉が、三重弁のようでもあり、、10年ほど暮らした神戸の方言のようでもあり、しかもしばしば関東方言の語彙や話法も混ざる、端から聞けばはなはだ「けったい」なものであろうという自覚がある。

自分の使っている「コトバ」は当然ながらその話者のアイデンティティを(全てではないにせよ)大きく規定するわけなんだけれど、アイデンティティなんてアプリオリなものじゃなくて、自分自身で編み上げることだって可能なんだ、それがたまたま生まれた土地や所属する組織(国家だってそうだ)の枠をはみ出したりすることなんて当然のように起こることなんだ。

無邪気に「愛国心」を口にし、他者の「愛国心」の不在や希薄さが信じられない人にはそういう想像力が欠けているし、またそういう他者が怖くてしょうがないんだろうなと思う。

つづくかも。